2020/04/24
物事は終わり、そして始まる

確かに世界は何かが終わり、そして何かが始まろうとしています。この世界には、すべての物事にサイクルがあります。何かが終わるときが必然的にやって来て、終わりが来たからこそ新しい何かが始まります。
新しい何かは、常に新しい変化を作りだします。
終わることは、人間にとっては恐ろしくもあり、悲しくもある出来事です。良いものがどんどん壊されていくように思え、過去の『麗しい』世界の美しさと豊かさばかりに目を向け、ノスタルジーという感情に浸ろうとします。
しかし、終わりが無く、新たなことが何一つ生み出されることが無い世界ならば、変わり様の無い混沌とした世界が永遠に続くことになります。
世界の重要なことが何一つ変わらないままに困難だけが降りかかり、その現実に閉じ込められ、翻弄されているように感じていたとしても、実際には世界は歩みを進めています。
自分自身を含めた存在のそれぞれが少しずつ状況を受け取り、変化し、前へ進んでいます。あるとき、気づけば大きな変化が起きているのだろうと思います。
それとも、もしかしたら、人間の判断力に疑問を感じているのでしょうか?
人間の悪と醜さにうんざりしていて、「そんな人間がまともな方向になど、進めやしない」と思っているのでしょうか?
これは、人間のテーマですね。
ひとくくりにしている『人間』には、自分も含まれます。もし、人間の性質に疑いを持っているのなら、自分自身の本当の状態をとことんまで調べてみればよいと思います。表面的に表れている「分かっていないこと」「出来ていないこと」「駄目なこと」に目を向けるのではなく、本質の中にある思いと願い ―意識― を探ってみれば良いと思います。
人間とは本当に、それほど酷い存在なのでしょうか。
新しい光が降りてくる時代が、本当にやって来ました。ソウルとしての私たちは、この時を待ち続け、そこに向かって一歩一歩、歩みを進めてきたのだろうと思います。長年にわたる、パイシス時代の苦難と犠牲に特化した『時』が、本格的な終わりに向けて歩みを進めています。
しかし、まだ新時代に完全に移行できたわけではありません。
ですから、新たな時代に向かっての絶え間ない変化の波がこれからも続くのでしょう。
どこに向かうのか、その先に何が待っているのかも定かでは無い、嵐のとき。
しかし、魂としての自分の内面を見つめたとき、「ようやくここにたどり着いたのだ」という深い感慨が存在していることに気づきます。
アクエリアス時代に向かって、出発できる時がようやく来たのだろうと思っています。
確かに、降りてきた光 ―地上に差し込んできた輝かしい光― は、一時的に影を濃く映し出します。ぼんやりとした光の元では見えなかった、様々なものの不調和の輪郭、色、形が具体的な『物』となって目立つようになります
光が差し込むことで、私たちはその存在に気づくようになります。そして、それに対処しようとします。
しかし、それはこれまでには見えていなかったもの・・・存在することすら知らずにいたものです。どのように対処すれば良いのか 誰も明確には分かっておらず、そのため迷いや混乱が広がります。
それでも、いずれは物事の具体的なことがもっと明確に判るようになるのでしょう。そして、どのように対処すれば良いのかが理解され、その方法が浸透し、新しい秩序と調和が作られていくのだろうと思います。
その過程の中で、もし自分に何か貢献できることがあるとするのならば、何が起きているのかを深く、しかし広く明晰に見ようと試み、その都度適切と思えることを『やってみる』だけなのだろうと思っています。
この世界は・・・と言うより、人間の思考システムでは、物事は極端な二方向へ向かう動きを作りだします。二元性、二極性というものです。良い物事も、「実際に良い方向に向かう動き」と「悪いと思える結果を生み出しそうな動き」の2つを作りだすということです。
問題が起きたとき、圧倒的に焦点を当てられるのは常に「悪いと思える結果を生み出しそうな動き」の方です。何故なら、良い情報や良い知らせは、知らずにいたとしてもさほどのデメリットは生まれないからです。
しかし、「悪いと思える結果を生み出しそうな動き」の方はそうはいきません。知らずにいたら(もしくは『知らせずにいたら』)、デメリットが大きくなるのではないかという無意識の認識が働くからです。
この認識は、現実論として必要な場合もあります。しかし、恐れから派生した不要な認識の場合も、数多くあります。
いずれにしても、どれもが何らかの形で必要な情報ではあるのでしょう。ただ、その情報がどのような認識から発せられたものなのかについては、冷静に、理性的に判断する必要があります。
二極性を現実ととらえるのならば、実は「悪いと思える結果を生み出しそうな動き」にもまた、「実際に良い方向に向かう動き」の要素が含まれていることになります。
その事実(物事には、必ず両極が含まれるという現実)にも焦点を当て、その両極の、良いと思われるものにも気づき、取り入れ、その方向に向かって行動することも重要になってくるのだろうと思っています。
二方向の流れをキャッチできるのか・・・(実際には、世界は多次元的になりつつあるので、二方向だけではなく、様々な方向に流れることになるのでしょうけれど。)
そして、その光を自分の周囲の身近な世界で、自らが体現し、広げていくことができるのか・・・
そういうことが問われているのだろうと思っています。
そして、それは、小さなことならば誰しもが実行できることなのだろうと思っています。それぞれが身近な、小さなことに取り組んで、小さな変化を積み重ねていけば、それで十分なのだろうとも思います。
その小さなことが積み重なって、あるとき大きな変化が起こるのだろうと思っています。
世界に、大きな光が降りてきていることは確かです。役目を果たし終えた時代がこの世界を離れようとしていて、それと同時に新たな時代が降り、誕生しようとしています
その動きのスピードを上げるための、予測外の大きな力が働いていることも事実です。そして、それが思わぬ大きな影響を作り上げていることも事実です。
しかし それは、より良い世界に向かうための必然的な流れでもあります。
私たちはそれを拒否し、邪魔することもできます。
それを認め、その流れに乗り、貢献することもできます。
その道筋は調整、調整、調整の連続になるかもしれませんが、魂レベルでの私たちにとっては、それは毎度のことでもあるのでしょう。
最初から決まった正解など何一つありません。
一つの動きは、物事を多方面に広げていきます。仮に失敗したように思っても、その動きが悪い方向だけに広がることは実際にはあり得ないことです。
その失敗したように思える何かもまた、思わぬ形で「良い何か」を生み出すことになります。
それもまた、現実です。
悪いことばかりが、現実というわけでは無いのです。